疲れた人は、しばし路傍の草に腰を下ろして、道行く人を眺めるがよい。人は決してそう遠くへは行くまい
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そうそう、こういうの!
こういうのでいい。
路傍の草に腰を下ろさないとな。人間は。ときどきは。そのためのお尻だもの。
謎のフィット感あるもんな。草の上に座ると。
なんだろ。お花見の時とかすごい気持ちいいよね。「ふさっ」て。お尻と草ってはるか昔別れた、おりひめとひこぼしなの?ってくらい激しく惹かれあってるよね。
だからトイレの女子トイレによくある、音楽流れるやつ、「音姫」っていうのかな。どっちかっていうとおケツの方が女性っぽいものな。草の方が男性っぽい。
でもなー、実際、全裸で草の上に座ったらどうなんだろう。
いや、ぼくらはもう最低でもパンツという布をはさんで草に座っているわけだけれども、原初の人達はお尻に直に草だったわけで。
そうなると今僕らが路傍の草に腰を下ろして感じられている、まるで七夕のようなフィット感は得られなかったのかもしれないわけで。
「ふさっ」というより「ぶさっ」って刺さってたかもしんないよね。
もしかしたら人がパンツなりズボンなり発明したのって、草の上に座るためだったのかもしれないな。
最初から丸出しなら急に恥ずかしいとか思わないはずだし。
やっぱ、草の上に座りたいっていう欲望、ってすごい大きかったんだろうなー。もうそれしか考えられないレベルだったんだろう。
草の上に座りたい!お尻と草を七夕にしたい!って。何世紀も恋焦がれてた。おじいちゃんもそのまたおじいちゃんもそのまたおじいちゃんも…。そうして幾星霜時が流れ、ようやく出会う、お尻と草。ああ、なんてロマンチック!
これはロシアの作家、イワン・ツルゲーネフさんが残した名言。
ちよしらべ
だれがいったの?
イワン・ツルゲーネフさんがこの名言を言ったそうです!
うぃきめも
ウィキペディアを調べてみたところどうやらこの名言はまだ掲載されていないようで…。お役に立てずゴメンナサイっ!