逆境に立ってすべての欲とこだわりとを捨て去ったとき、人は思わぬ力を発揮できる
いいねっ!1
チキンラーメンを作った人、安藤百福さんが言った名言。
いい名言だというのは前提としてちょっと想像してみるね。
まず手順①「逆境に立つ」か。
……
…
おーけー想像できた。
とりあえず電車内ですげー腹痛になったの想像できた。
んで手順②「欲とこだわりを捨てる」と。
……
…
うん、どう考えても漏らすわ。この名言。100回想像したけど100回ともきれいに漏らした。
まどマギのほむらでも救えないと思う。
思わぬ力を発揮する前にもうすべてが終わってる。
ごめんチキンラーメンの話なのにうんこの話して。なんか食いにくくなっちゃうよね。
少なくとも電車の中で腹痛を覚えた時に力を発揮する名言じゃないな。
いや「思わぬ力」というのが電車内で一目はばからず漏らせる精神力というのなら、あるいは…。
ちよしらべ
だれがいったの?
安藤百福さんがこの名言を言ったそうです!
うぃきめも
ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング(ドイツ語 : Hermann Wilhelm Göring 発音、1893年1月12日 ‐ 1946年10月15日)は、ナチス・ドイツの政治家、軍人。ナチ党の最高幹部で総統アドルフ・ヒトラーの後継者であった。ドイツ空軍総司令官であり、軍における最終階級は全ドイツ軍で最高位の国家元帥 (Reichsmarschall)。
第一次世界大戦でエース・パイロットとして名声を得る。戦後の1922年にアドルフ・ヒトラーに惹かれて国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党。ミュンヘン一揆の失敗で一時亡命生活を送るも、1928年に国会議員に当選し、1932年の選挙でナチ党が第一党となると国会議長に選出された。ナチ党と上流階級の橋渡し役を務めてナチ党の党勢拡大と政権獲得に貢献した。1933年のナチ党政権誕生後にはプロイセン州首相、航空相、ドイツ空軍総司令官、四ヵ年計画全権責任者、ドイツ経済相、森林長官、狩猟長官など要職を歴任し、ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めた。しかし政権内では対外穏健派だったため、対外強硬派のヒトラーと徐々に距離ができ、1930年代終わり頃から政治的影響力を低下させはじめた。第二次世界大戦中にドイツ空軍の劣勢が目立つようになると一層存在感を落とした。引用元:ヘルマン・ゲーリングより